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反原発運動の持続性について考えてみたり [考えているコト]

第3回なくせ原発!河内長野デモ
この前参加した第3回なくせ原発!河内長野デモ(9月11日)

『定本 物語消費論』(2001年 大塚英志 角川書店)を読んでいると、反原発運動に関する興味深い分析がされていました。

たとえば、「“団塊の世代”は今なぜトレンドになっているのか(’88・11)」では、
<全共闘>的なものがトレンド化した最大の流行は反原発である。不惑をむかえた忌野清志郎が反原発ソングを歌い、「宝島」少年たちがこれに呼応する。『アクロス』六月号も、反原発運動が団塊世代と団塊ジュニアによって支えられたものであることを暗に指摘している。

かけてもいいが、『危険な話』以降の反原発運動は来春までに沈静化する。<消費>されてしまう。そうして、全共闘以降、それぞれの地元で反原発にとり組んでいた人たちのみが淡々と運動を続ける。
とあります。

90年代以降、反原発運動を少々見聞きした私の印象も、ある程度上記の指摘どおりかなと思えます。

私(団塊ジュニア世代)の場合は、
①『危険な話』の広瀬隆さんの著作、『東京に原発を!』(学校近くの古本屋で100円でget)に触発されたこと、
②ルーツが伊方原発の隣町の旧三崎町(合併後は伊方町)にあること
が反原発運動に関心をもった主な要因です。
中学生の時のチェルノブイリ原発事故も作用しているかも?

福島第一原発の事故前は、確かに反原発運動は、他の運動と同じく「淡々と運動を続ける。」という感じでした。

第3回なくせ原発!河内長野デモ2
第3回なくせ原発!河内長野デモ


また、
「<反原発>の都市民俗学(’88・6)」では、
民俗学者の小松和彦は、原発や放射性廃棄物処理施設が地方の寒村に置かれるのは<ケガレ>を都市の外部に排除しようというフォークロアの現代的な姿である、という興味深い指摘をしている。

広瀬隆現象以降の反原発運動に欠落しているのは、原発を必要とし、それを地方に排除したのは実は自分たちであるという自覚である。原発は都市で暮らしあるいはマスメディアを生きるぼくたちの過剰なまでに快適な暮らしの副産物なのだ。放射性廃棄物とは原発が生み出したものではなく、<都市>そのものの汚物なのである。にわか反原発主義者が安心して「反原発」を唱えられるのも、広瀬隆の「電力は足りている」-つまり、原発を停止してもこの快適な生活は決して損なわれない-という心強い主張に支えられているからである、とぼくには思える。

いずれにせよ本当に原発を停止させたいのなら、<反原発>をトレンドとして消費しないことを忠告したい。

今夏の大飯原発再稼働問題でも、
政府や関電、経団連等による、「再稼働しなければ計画停電」との脅しに対し、
「電力は足りている」との反論はあったし、それに安心して再稼働に反対した人も大勢いると思います(事実、火力発電所を一部停止するほど足りていましたし)。

他方
小出裕章さんの「少欲知足」の勧め
日本を含めた先進国と自称している国々に求められることは、何よりもエネルギー浪費社会を改めることです。あらゆる意味で原子力は最悪の選択肢ですし代替エネルギーを探すなどとなまぬるいこと言う前にまずエネルギー消費の抑制にこそ目を向けなければならないと思います。
のような考え方に賛同して運動に取り組む人も多いという印象もあります。

大塚さんが分析した80年代末とは異なり、
①電力浪費のライフスタイルにサヨナラする方が増えていること
②残念ながら、福島第一原発の事故は当分の間収束しそうにないこと
などから、反原発はトレンドでなく、運動として質量ともに向上して定着するのではないかと予測します。

関連記事
『原発の来た町-原発はこうして建てられた/伊方原発の30年』 
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ばたお

> 原発を必要とし、それを地方に排除したのは実は自分たちであるという自覚

やや話が逸れてしまいますが、私は、素朴な「原子力村=悪」論は危険だ思っています。なぜなら、「原子力村」の存在を積極的・消極的に容認してきた私たち自身も、程度の差こそあれ「原子力村」の住民のはずだからです。

伊丹万作も、「『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいない」(「戦争責任者の問題」より)と述べています。



> 反原発はトレンドでなく、運動として質量ともに向上して定着するのではないか

ボードリヤールによれば、消費社会のシステムは、あらゆるモノを「記号=商品」として消費してしまう。従って、これに対抗するには、システムからもたらされる「利益」を拒絶するしかない――。

困難かも知れませんが、そうなればいいですね。


by ばたお (2012-09-26 18:17) 

Loby-M

ご訪問&コメント、有難うございました。
お礼が遅れてすみません。

海外にいると、様々な問題を冷めた目で見れる確率が増えるように思います。
最近の原発反対運動は、たしかに一時的ブームの感がします。

いかに『原発ゼロ!』と叫んでも、それはhnhnさんも記事中で触れられているように、”十分な電力の中で快適生活を享受”しているという安寧とした状況の中での反対であって、もし、政府および電力会社の必死の不足電力を補う努力がなく、広域停電が発生し、工場群は停止し、家庭も商店も冷房も冷蔵庫も使えなくなるという事態になれば、『原発ゼロ!』は絵に描いた餅的なものと分かったはずです。

もとより、原発は安心だから持続すべき、増やすべき、と言っているのではありません。
持論としては段階的に廃止する方向にもっていくべきであり、その間(20年~30年?)に代替エネルギーや自然エネルギーを活用する電力源を増やすべきだと思います。




by Loby-M (2012-09-26 21:33) 

hnhk

ばたお さん
>素朴な「原子力村=悪」論は危険だ思っています。
『定本 物語消費論』中でも、吉本隆明さんが『「反核」異論』で「反核ファシズム」の問題を指摘していたことを取り上げています。

>伊丹万作…
国家の失策と国民の責任の関係については、『半難民の位置から―戦後責任論争と在日朝鮮人』(2002年 徐京植 影書房)も必読の書ではないかと思います。

>運動として質量ともに向上して定着
正直言うと、予測というより、福島第一原発の事故でこれだけの被害が続いているのですから、せめてものというニュアンスです。
by hnhk (2012-09-27 16:53) 

hnhk

Loby-M さん

>持論としては段階的に廃止する方向にもっていくべきであり…

時間はかかっても、何とか廃止できれば良いですね!
目先の利権のためだけに、ダラダラ原発を動かし続けるのは、STOPして欲しいところです。

ただ、廃止しても、放射性廃棄物のお守りを万年単位で考えないといけないのが、頭の痛いところです(ノ_-;)ハア…
by hnhk (2012-09-27 17:03) 

さきしなのてるりん

2030年代に無くすというがその行程は霧の中。本気でやる気になれば、もっともっと早くできる。何より、規制委員会のメンバーを見たら、本気で原発なくそうという意気込みなど皆無とみる。おまけに2030年代に民主党が存在しているのかはなはだ疑問(笑)。だから2030年代なのでしょ。
by さきしなのてるりん (2012-09-27 20:26) 

hnhk

さきしなのてるりん さん

先日、枝野さんが、大間と島根の原発建設を認める発言をしたのでも明らかですよね。
新しく作った原発を20年そこそこ動かして廃炉にするなんて考えられないです。

MOX燃料を燃やすのに特化した大間の建設にこだわるのは、核燃料サイクルも維持したいからだと思います。

国内外に45t以上貯めこんだプルトニウムを、少しでもMOXにして燃やさないと、海外からの核保有疑惑をかわせないから必死なのかも?
by hnhk (2012-09-29 10:32) 

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