SSブログ

こんな感じ(自称「半農半活動」)で生息しています。
① 可能な限り自給自足(とりあえず家庭菜園と年収100万円程度の生活)
② ①以外の時間を、社会問題の解決に充てる(取り組む問題は何でもあり)
半農半X とBライフにインスパイアされました。

死なない以上は、子孫と環境に負の遺産を残さないように生きれればと考えています。
単身で気楽に生活、ピンピンコロリでフェードアウト!が理想です。
詳しくは、公式ブログ見てください。よろしくm(._.)m
あと活動に関しては、2014年度以降はこちらへ→活動版

コメントいただければ、かならずお返事いたします(^^)
ネット環境のない場所を放浪していたりで、お返事に2~3日かかることもあります<(_ _)>

気晴らし読書『ジャパン』 [読書]

ジャパン『ジャパン』

著  者:三浦建太郎/作画 武論尊/原作
発  行:白泉社
発行日:1998/06/12
文 庫:224頁




「屋島たちは突然の地震に襲われ、地の底に落ちてしまう。そこで彼らが見たものは奴隷と化した日本人の姿。なんと、そこは未来の世界だった!!」
 (白泉社HPより)

同居人のばたおさんが貸してくれたこのコミック。
ばたおさんが、高校生の頃読んだものだとのこと。

上記の書誌データは文庫ものですが、ばたおさんが所有していたのはコミック版で、第一刷りは1992年でバブルの余韻がまだ続いてた時期に書かれたよう。

バブルの頃、私は高校生でしたが、バイトの時給も今より全然良くて(最賃は今より大分低いのに)、夏休みだけで40万稼いだり、ファミレス&新聞配達で月収20万近く稼いでいるクラスメイトもいましたね。大学も経済学部の人気が絶好調だったと記憶します。

そんな時期に描かれた未来の日本とは?

環境破壊と、原発事故の頻発によって世界中の国土が荒廃し、食料の流通がストップ
生き残ったのは、広大な国土と自給自足を根底にしていた国だけ
経済優先で自給率の低かった日本は壊滅し、日本人は食料難民として世界中に流出し迫害を受け続けていたΣ(T□T)

武論尊氏原作の『北斗の拳』は、核戦争後の弱肉強食社会という設定でしたが、こちらは原発事故後のそれ。

私が予想する将来の日本の姿は下記関連記事のとおりですが、日本人が総難民化し、迫害を受けることまでは想定していません。

しかし、アジア諸国と日本との力関係が将来逆転した時に、戦後補償を放置していたこと、福島第一+他の原発の事故により周辺国及び海洋を放射能で汚染したことにより、日本及び日本人が相当な苦境に立たされることは、十分ありうると思っています。

かつてのカルタゴのように経済繁栄におごる日本への警鐘でもある本書ですが、『ベルセルク』や『北斗の拳』ファンの方にも、ぜひオススメしたいです。

ちなみに、コミックは、迫害に立ち向かう主人公たちが新たな展開を迎えるところで、「ジャパン 第一部 おわり」となっています。
しかし、続編を探したものの、見当たらず(T△T)
心当たりのある方は、是非ご一報を!

関連記事
半世紀後の理想の日本って?-超主観的予測- 


にほんブログ村
スローライフ ブログランキングへ
nice!(21)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 21

コメント 7

鯵ヶ崎

はあ、戦後補償を放置ですか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B3%A0%E5%84%9F%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%BE%8C%E8%A3%9C%E5%84%9F
これだけの額をキッチリ支払ってかつ当時植民地としていたアジアの国々とも和解し現在では概ね良好な関係を築いておりますがそれでも賠償を済ませてないとおっしゃるので?
ああ、どこかの図体だけ大きい国とそこにへばりついた盲腸みたいな半島にある同族同士で50年近く戦争してる国の事をおっしゃっているのなら一方では共同声明によって請求権を放棄したり(それでもその後莫大な有形無形の援助はしていますが)また一方では国家間の条約により経済援助と言う形をもってその賠償の責任は完全に終了していると記憶していますが、ハテ?現在わが国は何処のアジアの国に対しての戦後補償を放置しているのか教えていただけませんかね?

by 鯵ヶ崎 (2013-12-15 20:53) 

hnhk

鯵ヶ崎 さん
コメントありがとうございます。

まず、私(ルーツも日本でかつ日本国籍保持者)の考え方ですが
①自分がアジア諸国の被害者の遺族だったら、日本国及び日本国と結託したアジア諸国のかつての指導者たちの戦後処理には納得がいかない。
②日本国籍を保持している以上、戦後補償不作為の政治的責任を果たす必要がある。
③地域としての日本に多少愛着はあるが、日本国には愛想が尽きている。
等々

たぶん、この考え方に全く同意できないのでしたら、以下の文章に気分を害されるかもしれないので、読まない方が良いと思います。

まず、リンクを貼っていただいた内容については、遅くとも20年以上前に『在日外国人 第三版 ―法の壁、心の溝』(岩波書店 田中弘)を読んで以降、ある程度知っています。

同書でも言及されていましたが、日本人の被害者への恩給等は90年代には年間1兆円を超えていて、この数字と比較して、アジア諸国等への「支払い」の余りの少なさに驚きました。
ちなみに、日本人でも空襲被害者等には補償はありません(戦前には補償制度はありましたが戦後は除外され、基本的に一般国民は泣き寝入りです)。

また、朝鮮・台湾人でBC級戦犯とされた人々は、戦争当時「日本人」だったということで日本国籍を奪われた後も日本国によって収容され続け、釈放後は「日本人」でないということで一切の補償等から除外されています。

こうした理不尽なことは、いくらでもあるので、前掲書や『未解決の戦後補償』(創史社)等を読んでいただければと思います。
できれば、その内容だけでなく、執筆者がなぜ戦後補償問題に取り組んだのかを調べてもらった方がより理解が深まると思います。
by hnhk (2013-12-15 21:52) 

ばたお

戦後補償という議論に関して、論点を整理する必要性を感じる。

まず、「補償」と「賠償」と「経済援助」と「日本人被害者への恩給等」は異なる概念であり、別の問題として認識されなければならない。

「補償」とは、戦争被害に対して行われるものであり、従って、原則的には「対国家ではなく、対個人」とならざるを得ない。

いくら「賠償」や「経済援助」が国家単位でなされたとしても、それは戦後補償の議論と直接の関係性を持たない。そうした点も含めて、鯵ヶ崎さんの議論には概念や認識の混乱が見られる。一方、hnhkさんによる「日本人被害者への恩給等」の話も、戦後補償の議論とは直接的には関係がない。

「アジアとの良好な関係」というのには、主観的な要素が含まれてくるため、「良好な関係とは何か」という定義がなければ、議論そのものが不能であると言える。また論理的に考えて、戦後補償をきちんとしたからと言って、自動的に「良好な関係」が築けるとは限らないし、戦後補償をきちんとせずとも、「良好な関係」を築ける可能性はある。

総じて、鯵ヶ崎さんもhnhkさんも、別概念や別問題を切り分けないで論じるというレトリックを用いており、そこからはオーディエンスをたぶらかそうとする意図が透けて見える。「賠償」や「経済援助」や「日本人への恩給」や「良好な関係」など、本筋とは関係のない話は止めて、「戦争被害という個人の問題に対する補償」という論点に焦点を絞って議論をするべきではないかと考える。


by ばたお (2013-12-16 03:22) 

ばたお

補足:
「賠償」とは、敗戦国が戦勝国に対して行うものであり、「補償」とは直接的には関係がありません。従って、一緒くたにして論じるのは不誠実だと言わざるを得ません。

by ばたお (2013-12-16 03:27) 

hnhk

ばたお さん

>…オーディエンスをたぶらかそうとする意図が透けて見える。
少なくとも、私のコメントは鯵ヶ崎さんへのものであって、正直オーディエンスはほとんど意識していません。
また、鯵ヶ崎さんにも、そのような意図はないと解します。

論点整理はあって良いかもしれませんが、私が鯵ヶ崎さんに伝えたいのは、日本国の戦後処理の軸足がどこに向けられているかを知ってもらうことにあります。
なので、「補償」「賠償」等の定義にはこだわりません。

その上で、主に自国の軍人・軍属や反共産主義政権に飛びぬけて手厚く、アジアの戦争被害者をどれだけ切り捨ててきたかを知ってもらうことにあります。

論点整理に意義があるとすれば、国単位で行う「賠償」や「経済援助」≒個人補償という誤解を解くということでしょうか。
ただ、鯵ヶ崎さんに国家と個人が一体のもという強固な考えがある場合は、理解しがたいことだとは思います
by hnhk (2013-12-16 19:05) 

とおりすがり

日本の受けた戦争被害を考慮しておられないのでは?

また、戦争の加害者・被害者の定義がそもそも間違いなのでは?

戦争で加害者・被害者が決定されるのは戦後です。
負けたほうが加害者として強制されるのです。

日本は加害者として認定されないようにどこぞの最強国家のような選択をしないといけないのでしょうか?

私の認識では日本はあの戦争で非常な被害をこうむっておると思います。
その賠償を求めることなく自力で今の地位まで回復したのです。

自力が無いのでたかるという考えでは平和になりませんよ。
自分では努力しないで他人の成功をねたみ、たかる方法を考えることにのみ能力を集中するのでは足を引っ張っていると思われても仕方ありません。

ましてやこの日本で(他の多くの国の人に比べれば)何の不自由なく暮らして来れているのでしょう?

Bライフには賛同しますが、その根拠がこのような後ろ向きの精神では悲しいです。

Bライフはコンパクトに生きる清貧の精神が元だと思っています。
この日本だからこそそういう生き方がたやすく出来るのです。
もっと強く生きてください。
by とおりすがり (2013-12-21 23:26) 

hnhk

とおりすがり さん

>また、戦争の加害者・被害者の定義がそもそも間違いなのでは?

加害と被害というのは非常に重層的です。
例えば私が以前からお付き合いのある被爆者の方(被爆当時は小学生)は、
①戦争を引き起こした日本政府には加害責任を
②原爆を落とした米政府にも加害責任を
戦後ずっと要求し、一方で
③日本政府に、アジア諸国に対して戦後補償等を行うよう運動を続けています。

つまり、米国や日本国に対しては被害者としての
アジア諸国に対しては日本国籍保持者とし政治責任があるという立場を取っているのです。

戦争による加害・被害の問題は、加害国と被害国、加害国と被害国住人、加害国と加害国民など、当事者が非常に込み入っています。
丁寧にそれらを議論し、解決していかねばならないと思います。

60年代後半のドイツの学生運動は、ナチズムに加担した親の責任を追及することから始まったと聞いています。
その後も、ドイツでは、ナチズムの加害をどう償うかについて政治家・学者・市民が議論・運動を積み重ねてきました。

日本でも、遅まきながら、ドイツにみられるような努力を積み重ねて行く必要があると思います。

私は、ひどいことをした個人・団体には加害責任を償わせなければ、二度でも三度でも同じことをすると、素朴に思います。
それでは、加害者・被害者双方にとって、よろしくないと思います。

>Bライフには賛同しますが、その根拠がこのような後ろ向きの精神では悲しいです。

アジア諸国をあれだけの惨禍にさらしながら、自国だけ経済繁栄を謳歌する冷酷な日本国の国民として生き続けるのが、嫌なのです。
私は、もっと晴れ晴れとした気持ちで生きたいのです。
そういう意味で、私は非常に前向きですし、自己中心的です。

それに、こんな冷たい国は、いずれBライフ的な生き方を弾圧し、非国民のレッテルを貼る恐れがあると思っています。
それに対する防衛策としても、この国には、変わってもらわないと困るのです。

by hnhk (2013-12-22 09:26) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。